正信偈 釈迦章のご講義でした。
1総讃 2彌陀章 3釈迦章 4高僧章 今日は 3釈迦章のご講義でした、ありがとうございました。
学習の確認を「聖教電子化研究会」の電子辞書を使わせていただきました。便利ですね。聖典をノートに手書きで書き写されている阿部ふささんと真逆のやり方、とても恥ずかしい、お許しください。
「非営利目的に限り転載・再利用・再配布自由→聖教電子化についてを御覧下さい」甘えさせていただきます。
未整理です。未確認です。修正。(勉強)に努めます。(Takao Saito)

138如来、世に興出したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。
自力の教えは他力の導くため。生きる上での自力無効 私達は分かって生きている。

p.204 顕浄土真実行文類二(教行信証・行)

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 無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる。
 法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、
 諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、
 無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
 五劫、これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
 あまねく、無量・無辺光、無碍・無対・光炎王、
 清浄・歓喜・智慧光、不断・難思・無称光、
 超日月光を放って、塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
 本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。
 等覚を成り、大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
 如来、世に興出したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。
 五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
 よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。
 凡聖、逆謗、ひとしく回入すれば、衆水、海に入りて一味なるがごとし。
 摂取の心光、常に照護したまう。すでによく無明の闇を破すといえども、
 貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実信心の天に覆えり。

帰命無量寿如来 南無不可思議光
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
建立無上殊勝願 超発希有大弘誓
五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方
普放無量無辺光 無碍無対光炎王
清浄歓喜智慧光 不断難思無称光
超日月光照塵刹 一切群生蒙光照
本願名号正定業 至心信楽願為因
成等覚証大涅槃 必至滅度願成就
如来所以興出世 唯説弥陀本願海
五濁悪時群生海 応信如来如実言
能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃
凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味
摂取心光常照護 已能雖破無明闇
貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天

正法 像法 末法 法滅

p.362 顕浄土方便化身土文類六 本(教行信証・化身土 本)

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「正法五百年、像法一千年、この千五百年の後正法滅尽せん」と。かるがゆえに知りぬ、已後はこれ末法に属す。問う。もししからば今の世は正しくいずれの時にか当るや。答う。滅後の年代多説ありといえども、しばらく両説を挙ぐ。一つには法上師等、『周異』の説に依って言わく、「仏、第五の主、穆王満五十一年壬申に当りて入滅したまう」と。もしこの説に依らば、その壬申より我が延暦二十年辛巳に至るまで、一千七百五十歳なりと。二つには費長房等、魯の『春秋』に依らば、「仏、周の第二十一の主、匡王班の四年壬子に当りて入滅したまう。」もしこの説に依らば、その壬子より我が延暦二十年辛巳に至るまで、一千四百十歳なり。かるがゆえに今の時のごときは、これ最末の時なり。かの時の行事、すでに末法に同ぜり。しかればすなわち末法の中においては、ただ言教のみありて行証なけん。もし戒法あらば破戒あるべし。すでに戒法なし、何の戒を破せんに由ってか破戒あらんや。破戒なおなし、いかにいわんや持戒をや。かるがゆえに『大集』に云わく、「仏涅槃の後、無戒洲に満たん」と、云云。
 問う。諸経律の中に、広く破戒を制して衆に入ることを聴さず。破戒なお爾なり、いかに況や無戒をやと。しかるにいま重ねて末法を論ずるに、戒なし。あに瘡なくして自らもって傷まんや、と。答う。この理しからず。正・像・末法の所有の行事、広く諸経に載せたり。内外の道俗誰か披諷せざらん。あに自身の邪活を貪求して、持国の正法を隠蔽せんや。ただし今論ずるところの末法には、ただ名字の比丘あらん。この名字を世の真宝とせん。福田なからんや。たとい末法の中に持戒あらば、すでにこれ怪異なり、市に虎あらんがごとし。これ誰が信ずべきや。問う。正・像・末の事、すでに衆経に見えたり。末法の名字を世の真宝とせんことは、

念仏は人生の凱旋

p.105 仏説観無量寿経

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得念佛三昧。
佛告阿難 及韋提希。此想成已、次當更觀 無量壽佛 身相光明。阿難當知。無量壽佛身、如百千万億 夜摩天閻浮檀金色。佛身高、六十万億 那由他 恆河沙由旬。眉間白毫、右旋婉轉、如五須彌山。佛眼如四大海水、青白分明。身諸毛孔、演出光明。如須彌山。彼佛圓光、如百億 三千大千世界。於圓光中、有百万億那由他 恆河沙化佛。一一化佛、亦有衆多 無數化菩薩。以爲侍者。無量壽佛、有八万四千相。一一相、各有八万四千隨形好。一一好、復有八万四千光明。一一光明、徧照十方世界。念佛衆生、攝取不捨。其光明相好 及與化佛、不可具説。但當憶想 

 仏、阿難および韋提希に告げたまわく、「この想成じ已りなば、次に当に更に無量寿仏の身相光明を観ずべし。阿難、当に知るべし。無量寿仏の身は百千万億の夜摩天閻浮檀金色のごとし。仏身の高さ、六十万億那由他恒河沙由旬なり。眉間の白毫は、右に旋りて婉転し、五須弥山のごとし。仏眼は四大海水のごとし、清白分明なり。身のもろもろの毛孔より光明を演出す。須弥山のごとし。かの仏の円光は百億の三千大千世界のごとし。円光の中において、百万億那由他恒河沙の化仏まします。一一の化仏にまた衆多無数の化菩薩まします。もって侍者たり。無量寿仏に八万四千の相まします。一一の相に、おのおの八万四千の随形好あり。一一の好にまた八万四千の光明あり。一一の光明遍く十方世界を照らす。念仏の衆生を摂取して捨てたまわず。その光明・相好および化仏、具に説くべからず。但、当に憶想して、心眼をして見せしむべし。この事を見れば、すなわち十方一切の諸仏を見たてまつる。諸仏を見たてまつるをもってのゆえに「念仏三昧」と名づく。

摂取不捨
選ばず、嫌わず、見捨てず    専修学院の信国淳先生のお言葉だそうです。忘れないようにしたい。

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