定例講座 2024/10/02 佐々木徹 氏

御文 歎異抄 第18願 等を中心にしてご講義くださいました。
    
    自力の心で生きている。他力、自力について。
    念仏する心。

    善因善果 悪因悪果 これを前提に考え生きていないか。
    煩悩消せない。仏智疑惑。

    人生はいいか悪いかではない。取るか取らぬかである。(竹中先生)
    阿弥陀仏は選ばず、嫌わず、見捨てず。命を生き生きと蘇させる。

大事な私にとってほんとに理解の難しい、いつも通り過ごす言葉、佐々木先生ありがとうございました。
先生ご無沙汰しておりました。(何年たっても勉強すすんでおりません。笑)

電子聖典をパソコンでコピーしながら、楽しみながら、すこしづつ勉強しようと!!
これ結構楽しいのだ(笑)電子聖典とても、ありがたいです。御文、電子聖典ですべて読める。驚きました。今度から初めての御文は確認できるのだ。うれしいです。

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   御文 第8代蓮如上人 
    47歳筆はじめ 84歳まで 37年間 250通 
 御文 第一帖〜第五帖

 第一帖   
1 末代無智の、在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に、仏たすけたまえともうさん衆生をば、たとい罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくいましますべし。これすなわち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。かくのごとく決定してのうえには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

    p.018 仏説無量寿経巻上

     一八 たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。

    p.545 一念多念文意  凡夫というは

「致」とすという。むねとすともうすは、涅槃のさとりをひらくをむねとすとなり。凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとえにあらわれたり。

1. p701 / 浄土真要鈔   三毒の煩悩
あずかるがゆえに正定聚に住す。しかれば、三毒の煩悩は、しばしばおこれども、まことの信心はかれにもさえられず。顛倒の妄念はつねにたえざれども、さらに未来の悪報をばまねかず。かるがゆえに、もしは平生、もしは臨終、た.

1. p505 / 正像末和讃
とどまれば 三宝にはなれたてまつる 4 仏智疑惑のつみにより 懈慢辺地にとまるなり 疑惑のつみのふかきゆえ 年歳劫数をふるととく . . .
http://www.icho.gr.jp/seiten/html/505.html – 3k – 2009年12月06日

2. p507 / 正像末和讃
たのみにて 胎生辺地にとどまれり 19 仏智疑惑のつみゆえに 五百歳まで牢獄に かたくいましめおわします これを胎生とときたまう 20 仏智不思議をうたがいて 罪福信ずる有情は 宮殿にかならずうまるれば 胎生. . .
http://www.icho.gr.jp/seiten/html/507.html – 3k – 2009年12月06日

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